ero-memo - ART VIDEO-詳細

アヴァ (ABA) の詳細情報


『S&Mスナイパー』1983年2月号のアートビデオ広告。
創立1983年10月
登記上の社名株式会社アヴァ
本店所在地〒160-0023 東京都新宿区西新宿6丁目12番地4号 コイトビル11F
代表者代表取締役 河村良雄 (Kawamura Yoshio)
公式サイトhttp://art-sm.com
TWITTERhttps://twitter.com/ArtSMOnline
WIKIPEDIAhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B4%E...
SMPEDIAhttps://smpedia.com/index.php?title=%E3%82%A2%E3%8...

シネマジックと並ぶSM系アダルトビデオメーカーの老舗。
(所在地: 1983年頃 東京都中野区中央1-35-1-701 → 1984年頃 東京都西新宿6-20-7堤谷ビル2F
→ 1992年頃 東京都新宿区西新宿6-26-9宝栄成子坂ビル4F → 現在 東京都新宿区西新宿6丁目12番地4号 コイトビル11F)

アートビデオ (ART VIDEO) 名義で、製作・販売されているものもあるが、
アヴァ (ABA) は、初代社長河村良雄が旧来から使ってきたレーベル名。

旧作に記載されている社名を確認すると
  • 第1期:発売元 アートスタジオ、レーベル アートビデオ
  • 第2期:発売元 有限会社河村、レーベル アートビデオ 
  • 第3期:発売元 株式会社アヴァ、レーベル アートビデオ

そのためアートビデオが社名と思われることも多い。
作品はハードSMが多いが、内容は監督により千差万別である。

峰一也 (Mine Kazuya) (1950年~2017年)

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株式会社アヴァの社長河村良雄のAV監督ネーム。
元プロのミュージシャン。愛称はギターミネック。
1980年~1983年

1980年前後、峰一也はアートスタジオという音楽スタジオを経営し、
同時に、ビニール本のカメラマンをしていた。『SMファン』(司書房) などのグラビアを撮影していた。
当時の編集長は浅田昌弘(Asada Masahiro)、編集員に松本裕(Matsumoto Yutaka)。

1980年後半に『SMファン』の緊縛師濡木痴夢男(Nureki Chimuo)と濡木の撮影助手麻来雅人(Marai Masato)がアートスタジオの現場に参加。

濡木痴夢男は自身の関わった文筆・緊縛などの仕事の記録をこまめにメモとして残しており、
その一部は1999年から2000年に「ぬれきしんぶん」に掲載されている。
その他は平牙人(Taira Kibato)の風俗資料館[〒162-0824 東京都新宿区揚場町2-17 川島第二ビル5F http://pl-fs.kir.jp/ ]に保存されている。

1980年11月17日、遅くともこの時期から峰一也と濡木痴夢男が『別冊SMファン』、『SMコレクター』などの写真撮影をおこなっている。
撮影場所は原宿の「峰スタジオ」と記録されている。

アダルトビデオブームにより、峰一也は黒田透(Kuroda Toru)と一緒にビデオを販売し始めた。アートビデオとして事業をスタート。

1981年12月8日、今関和道(Imaseki Kazumichi)のSM専用ホテルアル
ファ・イン(Alpha-In) [〒106-0044 港区東麻布2-8-3 http://www.hotelalphain.com/ ] にて、
峰一也監督、濡木痴夢男緊縛でビデオの撮影。女優は西本みゆき(Nishimura Miyuki)。
販売タイトルは「肉の贄」と「縄鬼と浣腸魔」のどちらかと思われる。




  • 販売タイトル『淫らな悪魔』(アートビデオ, 1982年): 監督 峰一也、女優 桂るみ(Katsura Rumi)、男優 麻来雅人、緊縛師 渡辺観世(Watanabe Kanze)。

女優は早見純(Hayami Shun) =ビニ本のモデル 速水純子(Hayami Shunko) =AV女優女優名表記 桂るみ(Katsura Rumi)。

濡木痴夢男の仕事メモによると、1982年4月9日にアートビデオのビデオ撮影を、早見純でおこなっている。
もしこれが「淫らな悪魔」かだとすると渡辺観世は濡木痴夢男の変名ということになる。


  • 『狂い泣く肉奴隷』(アートビデオ, 1982年): 監督 峰一也、女優 雪代マヤ(Yukishiro Maya)、男優 濡木痴夢男、麻来雅人、緊縛師 濡木痴夢男。

1982年10月3日、濡木痴夢男緊縛で『狂い泣く肉奴隷』『濡木痴夢男の縛り方入門 その2 〜股縄縛りのあれこれ〜』撮影。。
アートビデオの初期作品『狂い泣く肉奴隷』、『淫狼の牙』、『セーラー服縄奴隷』などでは、AV男優として出演している。








  • 『虐糞アナル地獄 SM陰獣』(アートビデオ, 1983年): 監督 峰一也、女優 田口ゆかり(Taguchi Yukari)、男優 黒田透、麻来雅人。

1982年11月9日、濡木痴夢男緊縛でビデオ撮影。女優はビニ本モデル田中ゆかり。
販売タイトルは「マゾ妻淫ら裂き」で、女優名表記は田中ゆかり [=小林恵(Kobayashi Megumi)]。

麻来雅人によると、1980年の後半に『淫らな悪魔』『狂い泣く肉奴隷』『虐糞アナル地獄 SM陰獣』などにAV男優として出演。

この頃は、峰一也は主に通信販売で製作したビデオを販売していた。
1981年頃、流通ネットワークを開拓し、過去の通信販売で販売していた作品も、再度ビデオ番号をつけて販売。

1983年10月、法人化。
1984年頃、通信販売と共に、アイシンビデオを販売総代理店として店頭販売もおこなっていた。


緊縛師濡木痴夢男(1930年1月13日~2013年9月9日)。緊縛技法の体系化にも貢献。

1983年濡木痴夢男との共同作業が途絶える。
1987年中断していた濡木痴夢男との制作再開(~1988年)。
1983年~1988年

峰一也はAV男優の黒田透とのコンビで、80年代には数多くのSMドラマ作品を世に送り出した。
ドラマ作品を監督する場合に限り、篁りょう(Takamura Ryou)の別名義を用いた時期もあった。

黒田透作品は、黒田扮する『緊縛者が女の子たちをどこかに連れこむ』という、
今でいうお芝居の部分が必ず用意されており、その後に廃屋などに連れ込まれるという順番である。
日本家屋内でのSMプレイは、「ムチ」「ローソク」「吊り」「浣腸」など、
今のSMビデオに登場するものが使われており、全体として暗い映像が続く。

黒田出演作品には、いわゆるドラマ仕立てになっており、感情移入がしやすようになってはいるが、
登場人物は、女優と二人きりであるため、総集編などを除き、プレイ内容が「前半」「中半」「後半」の3本立てになっている。

1988年、突然AV男優引退。
引退してから3年が経過した後、ビデオtheワールド(1992年6月号)内で、
アートビデオ社長・峰が「ビデオに出られなくなったのは家庭の事情」であることを公表している。
また会社には、「なぜ黒田がいないのだ?」「黒田はどうした」という問い合わせので電話がかかってくると答えており(同年同じ雑誌)、
2004年11月号では、家庭の事情というのはビデオ出演が妻にバレたという話が対談として紹介されている。

1988年以降になると、黒田はアートビデオ専属監督・夢流ZOU(Muru Zou)として再デビューするが、
基本的な作品作りは同じだが、廃屋や山中による撮影ではなくなり、マンションなどの洋風なロケ場所へと移動している。
登場人物も「女優との1対1」ではなく、「女優1に対して男優2」というようになった。
1988年~2017年

1988年に黒田透が男優を引退したため、
1990年以降の峰一也は作風をドキュメンタリー形式に一変、
Mr.ミネックと名乗り、監督兼男優として自ら作品に出演するハメ撮りにシフトするようになった。
当時ブームだったマジシャンのMr.マリックをもじった名前で、マリック風の黒のサングラス等も着用。

「ミネック物」と呼ばれる1990年以降の峰のドキュメント作品の大半は、
女性を緊縛し大人のおもちゃ等で何度もイカせるプレイがメインである。
SM的な道具立てを用いながらも女優のナチュラルな反応、魅力を表現する事に重点が置かれているものと思われる。

ミネック物成立の時期は1990年頃で、
これはAV界においてイカセ作品というジャンルが定着した2001年頃よりもかなり以前のことであった。

そのため90年代には類似・競合作品がほとんど無かったことや、十数年もの長期にわたり、
余り内容が変わらないある意味で安心感のある作品を毎月安定してリリースしていること、
SM風でありながらも一般にも受け入れられやすいソフトな作風などにより、
SMファンのみならず比較的幅広い層にも根強い人気を得た。

峰監督の作品に有名女優が出演することは少なく、
企画女優や素人、あるいは素人に扮した無名女優が出演することが多い。
AV男優(サオ師)を起用することもほとんど無く、
多くの場合撮影は女優と二人きり、もしくはごく少人数のスタッフのみで行い、
インタビュー、縛りから本番まで演者的な仕事は全て峰自身が行う。

ほぼ全ての作品で麻縄による緊縛やろうそくプレイ、本番シーンがあり、
浣腸プレイや野外プレイをすることも多い。ただし鞭は非常に稀にしか使用しない。
イカセ作品の多くで見られる電気マッサージ器は全く使わず、黒色のバイブ(ターザン)を愛用している。

スタジオ以外でのロケ・野外プレイも比較的多く、
キャンピングカーやシティホテル、ラブホテル、SMホテル、時には廃車となったバスや野原に置かれたベッド、無人の工場・マンション、
さらには高級温泉旅館やクルーザーでのプレイなど、撮影費用の掛かる作品も見受けられる。

作品内に登場する大きなキャンピングカーはトラック無線が装備されており、長さが5mあるアンテナが装着されている。
作家で俳優の南伸坊 (Minami Shinbo) も交友があり、「彼はすごい。アマチュア無線などをやっていてなんでも器用にこなす人だ。」と紹介されている。
作品に登場するクルーザーは横浜に停泊されており、レンタルとして貸し出されていた。

近年では撮影中にビデオカメラ内蔵の専用サングラスを装着することも多く、それが彼のトレードマークともなっている。
プレイをしながらスチル写真を頻繁に撮ることや、
多くの男優・監督が女性をイカせようとする時に「イッてごらん」と言うのに対し、
彼だけは「イカせてごらん」と表現することなども特徴的である。

1994年10月1日、総合探偵社エースプロモーション (ACE PROMOTION) http://ace-web.co.jp/ 設立。
ACEレンタルスタジオはACEプロが経営するレンタルスタジオ。 

2017年4月6日、死去。葬儀は関係者のみで執り行わられた。
2017年6月30日に公式サイトが閉鎖された。

夢流ZOU (Muru Zou) (1955年~ )

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本名 牧内義和 (Mina Yoshikazu)。東京都東村山市出身。
1980年代、牧内義和はビニール本の出版に携わっており、アリス出版に出入りをしていた峰和也(後に峰一也と改名)と知り合う。
牧内義和は設立直後から男優 黒田透 (Kuroda Toru) として出演。

夢流思クラブは夢流ZOUの経営するSMビデオショップ。 

2008年3月31日、奈加あきら(Naka Akira)と組んで
夢流想倶楽部・奈加あきら緊縛同好会(MURUSO CLUB)という会社を東京都杉並区に設立。
代表取締役社長として就任する。本名牧内義和で活動をはじめる。
DVDジャケットの絵は前田寿安(Maeda Juan)。

夢流想倶楽部は実在する会社だが会社で、行くと普通のアパートであり、コーポくろだと書かれた看板がある。

奈加あきら (Naka Akira) (1959年~ )


奈加あきらは平成時代を代表する緊縛師の1人。
濡木痴夢男の影響を強く受けており、自らも濡木痴夢男を師と仰いでいる。
AVのスタジオ緊縛師としての仕事も多く、夢流ZOU、TOHJIROや加藤鷹とのつながりが深い。
自らのレーベル「夢流想倶楽部」からは緊縛を中心とした緊縛マニアのための作品を発表している。

1985年頃、AV業界に入る。
1988年頃、スタジオ業を始める。
1990年頃、マネージャーとしてシネマジックの撮影現場にモデルを連れて行く。
その時始めて濡木痴夢男の緊縛を生で見て衝撃を受ける。

アートビデオの主な監督

  • GOLDMAN ゴールドマン
  • 斉藤茂介: 80年代の作品で主にカメラ担当、後にアートビデオで監督作品多数。
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  • 豊田薫
  • 名和徹
  • 濡木痴夢男: 緊縛師、アートビデオ初期作品で緊縛担当
  • 速水健二
  • ミネックJr.: 峰一也の弟子、アートビデオ監督。
  • 乱田舞